何もしない時間は無駄な時間なのでしょうか?
我々の関わっているひきこもり当事者の方から、家にいると父親から家のことを何かと頼まれ落ち着いて休むことが出来ないといった話を聞き、相談対応を行いました。当事者の方は数年間ひきこもり状態であり、元々部屋から出ることも困難でありました。しかし、少しずつ部屋から出て家族と一緒に食事をとり、規則的な生活を送るようになり、自分の状況に理解のある人と一緒であれば外出もできるようになりました。
ただ、外出できるようになるとお父様は何かと外に連れ出すようになりました。洗車をするから手伝え、物置を片付けるぞ、買い物についてこい。決まって直前になって急に言われるそうです。当事者本人としては、体調の優れない日、本を読もうと予定していた日など自分なりに計画を立てて生活していたが、うまく断ることが出来ないそうです。
我々がお父様に話を聞いてみると、ひきこもりの病気が良くなったから、前の状態に戻らないよう活動することに慣れさせるためにやっている。また、どうせ家にいるのだから家の手伝いをしても罰は当たらないのではとのことでした。
まず、ひきこもりはウイルス性の病気のように完治したかどうか判断できるものではないこと。また、お子さんは勇気を出して一歩ずつ社会との交流を図っており、無理をすると逆効果であることを伝えました。最も認識のズレを感じたのが、家にいるということの認識です。お話を聞いていて、お父様にとって家にいることは暇であり、何かあればいつでも対応可能な状態を指しているように感じました。しかし、お子さんは家とは誰かに傷つけられることなく安心できる居場所という認識であるようでした。安らげる場所が急な負担を強いる場所に変化したら、どこにいけばいいのでしょうか。
「何もしないということをする」この時間は個人によって価値が変わります。
一日のスケジュールを一杯にして、出来る限り何もしない時間を削ることこそが合理的であると考える人。休憩時間も計画において大切な項目であると考える人。さまざまな価値観がありますよね。
今回、話し合いの中で双方同意のもと約束したことは2つ。
・依頼するときは最低でも1週間前に確認する。(直前に言わない)
・断っていい。また、断る理由を聞かない。
当事者の方は根がまじめで、出来る限り家族を手伝いたいという気持ちを持っている方です。そのため、今回、お父様には嫌であれば断りやすい環境を意識すること、当事者の方には嫌であればはっきりと自分の意思を相手に伝えることを共有しました。ただ、これが最善であるかはまだわかりません。今回の約束をもとに家という環境がどう変化するのか注意深く見守っていきたいと思います。
Writer:柴犬

この活動は、赤い羽根新型コロナ感染下の福祉活動応援全国キャンペーン「居場所を失った人への緊急活動応援助成」によって実施しています。赤い羽根共同募金にご協力してくださった皆様、多大なるご尽力を賜りまして、誠にありがとうございます。